「獣になれない私たち」がとても心に刺さる作品だった

ふーかです。

ついさきほど「獣になれない私たち」を見終わったのですが、本当に良い作品でした。
観終わったあとはしばらく余韻に浸るというか、心のどこかで淀んでいた何かが流れ落ちたような、なんとも言えない開放感で、ぽーっとしてしまいました。

そんなわけで、感じたことをつらつらと記事として書き留めておこうと思ったのですが、ここからはネタバレはもちろんのこと、主観が混じっています。それと、まとまりのない文章であることを先にお伝えしておきます。(一発書き推敲なしです……)

どんな影響を与えてくれた作品だったのか

結論から先に話すと、誰しもが感じている(であろう)生きづらさというのを表面化した作品で、その生きづらさに対する一つの答え……とは言わないまでも、アドバイスを送ってくれた作品だったんだと思います。生き方の選択肢、君の人生は君が決めていいんだよって。少なくとも私にとって、本作はそういう位置づけの作品でした。
(全ての作品を網羅しているわけではないのでわかりませんが)今までのドラマではどちらかというと華やかな生き方を、文字通りドラマティックな演出で見ている私たちに希望を見出してくれましたが、本作は夢ではなくアドバイスを、希望ではなく救済を提示してくれました。

仕事との向き合い方について

多くの人にとって働くというのは給料をもらうためであることは、少なからず理由の一つであります。晶さんもこんな会社でどうやって働けばいいんだと訴えるとき「仕事ですから、働いてお給料をもらわなければ生きていけないから働きますよ」と前置きを入れています。
でも、仕事は一日の三分の一以上を占めている時間だから、仕事が楽しくなければ生きるのが楽しくなくなっちゃうんですよね。なんのために生きているんだろうって。人によってはお金のために割り切って働くこともできるでしょうが、そうでない人にとっては、仕事が辛いと生きる意味を失いかけてしまいます。
どちらかというと、今まではそういう割り切り方を是とするというか一般的な考え方だった気がしますが、本作では辞めることも選択肢だと明確に提示しています。自分の生き方が大事ということを教えてくれています。
「あの会社で働けなかったからと言って自信なくすことないよ。どこか別に朱里さんに合う場所がある」「自分を殺して本当に死んでしまう前に辞めます」というのは、そういう人たちにとって救済の言葉であるんですよね。

必要である人間ということ

晶さんは「やめたければやめればいい」という言葉に「自分は必要のない人」だったと落ち込んでしまいます。しかし、晶さんがやめたこと、社長に想いを伝えたことで、それぞれの社員が想いを口に出すようになり、5tapで社長と飲みながら他愛のない話をするようになりました。
おそらく、今回のことを契機に、少しずつ社長や社内の雰囲気が少しずつ変わっていくんだと思います。その場に晶さん自身がいないことは(傍観者としてみている私から見ると)少しさみしいことではありますが、しかしそうやって良い方向へ変わっていくきっかけが晶さん自身にあったのだとすれば、やはりそれは「必要な人」だったということなのだと思います。
そのことは、エンディングで京谷の同僚が結婚する話のところで、京谷の上司が「人間どこで誰にどう影響を与えているかはわからないな」と話したところからみても、自分が誰かにとって「必要である」ということは、目に見えない形で確かに存在するということなんだと思います。
それになにより、恒星さんにとって晶さんは確かに必要な人であることは間違いないわけですから。

自分であることを見失わないために

恒星さんが粉飾決算に手を貸すのが許せなかったのも、悪いことだからという正義や義憤ではなく、悪いことに手を貸してしまう自分になりたくなかったからなんですよね。それは、生き方の選択であり、もっと突き詰めれば自分の生きる意味なのかなって。「人生を賭けるものじゃない」と諭されたときに「逆です、取り戻そうと思っています」と話したのは、悪いことに手を貸している生き方は、自分の生き方ではなく、そんな人生を過ごすことは自分の生きる意味ではないということで。
誰しもが感じている生きづらさって、多分そういう”自分であること”を貫く難しさにあるんでしょうね。
だから呉羽さんの生き方が眩しいし、「自分以外の何者にもなれない(ことを確かめに)」と自分の生き方ではない謝罪会見を中止したときの言葉に共感するわけで。

人生における恋の仕方

私自身、会うたびにドキドキしたり、感情が揺れ動いたりするのを恋愛だと思っていましたが、一緒にいると落ち着く、思っていることを素直に口にできる楽な関係も恋愛なのかなと思うようになりました。
ただ、でもそれって「恋」なの?「愛」なの?なんて考えることもあるんですよね。
晶さんと恒星さんもそういう関係性で、5tapでの会話は見ているこちらも心地の良いものでした。そして、本作ではそれも「恋愛」の形と表現していたように思います。
実際には、そういった関係性は昔から存在していましたし、そういう関係性のカップルは多いと思います。しかし、フィクションの世界ではどちらかというと前者のような恋愛を描く作品が多かったように思います。脚本家の野木亜紀子さん自身も「ラブかもしれないストーリー」と表現していることから、一般的なラブストーリーではないという認識があるのかもしれまん。
確かに、もしかしたら一般的には「恋愛」とは違う概念なのかもしれませんが、あるいは今後はそういった関係性のことを「恋愛」と呼んでもいいのかもしれません。既存の単語で表現することが難しい感情であることからも、いままではあまり脚光の浴びてこなかった価値観なのかもしれませんね。
ただ、個人的には、とてもしっくりする関係性でした。(そしてとても憧れました)

女性にとっての生き方

本作では、ジェンダー的な価値観にも寄り添っていたのかなと感じました。簡単に言えば決めつけや偏見といった部分を、今作では晶さんだったり松任谷さんだったり、京谷のお母さんだったり、様々な登場人物が、自身の価値観を見せてくれました。
私自身が男であることから、この部分について客観的な視点に立つのは難しく、また、少なからず男性的な価値観や旧来の偏見を持ってしまっているでしょうから、女性の視点でどうあったのかを語り切ることは難しいと感じています。
でも、なんとなくですが、今までのドラマって、わりと男性にとって都合よく作られていた作品が多かったんだろうなぁと感じもしました。いや、ほんと、ふわっとした言い方で申し訳ないんですが。

アンナチュラルとの違い

さて、野木亜紀子さん脚本のドラマと言えば「アンナチュラル」がありますが、あちらはエンターテイメントとして楽しませてくれる作品であるなかに、社会的なテーマが散りばめられていたという印象でしたが、「獣になれない私たち」は今を生きる人たちにとっての生き方とはといったテーマを包み込むためにエンタメ要素を加えているような、そんな印象を受けました。
そのあたりのことは野木さん本人しかわからない部分だとは思いますが、

晶さんの待受画像

晶さんが持っていたスマホの待受がクリオネの写真だったのは「見た目は可愛いけれど、時にはグロテスクに噛み付くぞ」っていう部分を重ね合わせてのことだったんですかね。
野木亜紀子さんはそういう小ネタが好きそうな印象があります(もしくは監督?))

最後に

獣になれない私たちが私にとってとても心に刺さる作品だったのは、いま自分自身が感じている悩み……つまりは生き方と合致したからなのだと思います。そして、それに対してのひとつの選択肢、アドバイスを見せてくれたことで心が軽くなったので、作品として好きになれたんだと思います。
人によっては、ただ鬱な展開を見せつけられる作品だと感じるかもしれませんし、自身がそういう境遇に置かれていなければ、エンタメ要素の少ない作品に見えるのかもしれません。
いずれの作品においても持ち得る感想というのは、その人の人生や価値観によって異なるものでしょうから、作品の評価などということをするつもりはありません。
ただ、同じような境遇で悩んでいる人がいたら、ちょっとだけオススメしたい作品だなと思いました。

ありがとうございました、もう少し頑張って生きられそうです。